二河白道 search for truth 2004 12 31
仏教には、「二河白道」という教えがあります(下記を参照)。
現在、アメリカも日本も、経済政策において、
選択可能な方法は、極めて狭いと言えます。
アメリカにおいても、日本においても、
経済政策における「二河白道」とは、
株高による資産効果ぐらいでしょう。
これならば、副作用は少ないと言えるでしょう。
そもそも、残された手段は、これぐらいしかないと思います。
そういうわけで、何と言われようとも、株高を演出するしかないでしょう。
白い道 search for truth 2003 9 4
仏教に、「二河白道」という、たとえ話があります。
これをわかりやすく、アレンジしてみると、こうなると思います。
昔、ある人が、西方に旅をしようと、決心しました。
昔は、治安が悪かったので、旅をするにも決心が必要だったのです。
道を、一人で、さびしく歩いていると、
突然、左手に、「火の河」が出現しました。
この「火の河」が、今にも、旅人に襲いかかろうとします。
旅人は、旅の疲れで、幻想でも見たのかと思いましたが、
今度は、右手に、「水の河」が現れました。
水といっても、台風の後の濁流ような「水の河」です。
旅人は、思わず、足がすくみました。
いつの間にか、自分の立っている場所が、
一本の狭く「白い道」となってしまったのです。
旅人は、あわてて、その道を引き返そうとして、後ろを振り返ると、
その道の後方から、「野獣」のようなものが追いかけてくるのです。
しかし、前に進もうとしても、
「火の河」、「水の河」によって、「白い道」が消えそうになっています。
こんな狭い一本の道では、どちらかの荒れ狂う河に落ちそうで、不安になりました。
しかし、旅人は、どのような困難があっても、
西方に旅をするという決心を思い出し、
決意して、その細く白い道を進みました。
すると、一度、決意すると、
その細く白い道は、旅人には、広く白い道に見えました。
「火の河」とは、「怒り」を象徴しています。
人間は、心が「怒り」で満ちていると、正しい判断ができません。
「水の河」とは、「貪り」です。
過度の名誉欲、出世欲、金銭欲のことです。
人間が生きていく上で、「欲」を持つことは必要です。
しかし、「欲」が、あまりに大きくなると、
やはり「欲」に振り回され、正しい判断ができません。
「野獣」とは、「煩悩」のことです。
これは、肉体から発生する欲望のことです。
人間は、年を取っても、肉体から発生する欲望を抑えられません。
精神が、肉体を制御することは、大変なことです。
「白い道」とは、「真理の探求」を象徴しています。
闇夜に、白い線が引かれていれば、たとえ細く狭くても、
目的地にたどり着けます。
この白い道が、正しい道なのです。
正しい道を行くには、正しい判断、正しい見方が必要です。
これが、仏教で言うところの「正見」です。
「怒り」で心が満ちていても、「欲望」で心が満ちていても、
正しい見方、判断はできません。
すべて、色眼鏡をかけて物事を見ているようなものです。
現代は、混迷の時代と言われます。
何が正義で、何が悪なのか、わかりにくくなっている時代なのです。
ですから、現代は、「二河白道」の時代とも言えます。
しかし、いつの時代も、「白い道」はあるのです。